判断基準まで書き出すつもりで、マニュアルを作り直した。手順だけでなく、「どんなときに、何を優先して決めるか」も言葉にしようとした。それでも、いざ書こうとすると、文章に落としきれない部分が残る。「これは、やってみないと分からない」「その場の状況による」としか言えない判断が出てくる──そんな経験に、心当たりがあるかもしれません。

手順の先にある判断基準まで残そう、という話は「マニュアルを作っても属人化が解消しない理由」で扱いました。この記事は、その続きです。実際に書き出してみると、マニュアルに残しきれないものが二種類あることが見えてきます。一つは、文書に書き切れないもの。もう一つは、文書に書いても、それだけでは移らないものです。前者が暗黙知、後者が決定権です。この記事では、この二つをどう引き継ぐかを考えます。

書き切れないものと、書くだけでは移らないもの

マニュアル化を進めると、業務は三つに分かれてきます。手順や条件として書けるもの。書こうとしても言葉にしづらいもの。そして、書けはするけれど、書いただけでは実際には動かないものです。

一つ目は、時間をかければマニュアルに残せます。問題は残りの二つです。二つ目は、経験から身についた見立てのように、条件として定義しにくい判断で、これが暗黙知にあたります。三つ目は、「例外時に誰が決めるか」という決定権です。これは権限表として明文化できますが、紙に書いただけでは、実際の決定権はなかなか後任に移りません。引き継ぎで見落とされやすいのが、この二つです。

書き切れないもの──暗黙知

一つ目は、本人も言語化しきれていない判断、いわゆる暗黙知です。

長年やってきた人の判断には、はっきりした基準の形をとっていないものがあります。「この客先は、今日は引いたほうがいい」「この不具合は、放っておくと大きくなる」。本人は正しく見立てられるのに、なぜそう決めたのかを問うと、「経験で分かる」としか言えない。これは、無数の場面を通じて身についた感覚で、一枚の手順書に書き写すのは困難です。

ただし、まったく言葉にできないわけではありません。判断した直後に理由を聞き取る、迷った事例を記録する、似た場面と比べる、といった手を重ねれば、一部は言語化できます。暗黙知は、手順書だけで移すのは難しくても、経験と振り返りを組み合わせれば、少しずつ引き継げる知識です。

書くだけでは移らないもの──決定権

二つ目は、判断の中身ではなく、判断する権限のほうです。「例外が起きたら誰が決めるか」は、権限表やエスカレーションのルールとして、むしろ書いておくべき内容です。問題は、書けないことではなく、書いただけでは決定権が実際には移らないことです。

たとえば、後任を決定者として書類に記しても、次のような状態では、決定権は機能しません。

  • ベテランが、後から判断を覆す
  • 周囲が、後任の決定を認めない
  • 後任が、判断に必要な情報へアクセスできない
  • 失敗すると、後任だけが責められる

決定権は、名簿に名前を書くことではなく、その人の判断が実際に通る状態を作ることです。任せた範囲の判断を、ベテランの好みだけで覆さない。修正が必要な場合は、どの判断基準が違っていたのかを共有する。周囲に周知する、情報を渡す、失敗を後任だけの責任にしない。ここまでそろって、はじめて決定権が移ります。仕組み化そのものの考え方は「仕組み化しても会社が回らない理由」でも扱っています。

暗黙知を引き継ぐ、4つのサイクル

暗黙知は、渡して終わりにはできません。観察・言語化・実践・振り返りを一巡させ、それを繰り返すことで移っていきます。

  1. ベテランの判断場面に同席する。どんな状況で、どう決めているかを、隣で見てもらう。
  2. 判断の直後に、見た事実と判断理由を聞く。「何を見て、なぜそう決めたのか」を、記憶が新しいうちに言葉にしてもらう。
  3. 類似事例や境界事例と、その結果を比べる。何を見て判断したのか、その手がかりが実際の結果と結びついているかを確認し、記録する。ベテランの習慣をそのまま正解にせず、引き継ぐ価値のある判断かを検証する。「この場合はこう、あの場合はこう」と並べると、共通する判断の手がかりが見つかります。
  4. 後任が、損失を限定できる範囲で実際に判断し、一緒に振り返る。見るだけでなく、決める経験を積む。

この四つを一巡させて終わりにせず、繰り返すことがポイントです。反復によって、同じ状況で判断できる人が少しずつ増えていきます。文書化だけに頼るより、判断の手がかりを共有しやすくなります。

セルフチェック:暗黙知と決定権が一人に残っていないか

当てはまる項目があるなら、手順ではなく、暗黙知か決定権が一人に残っている可能性があります。

よくある質問(FAQ)

暗黙知は、結局その人がいないと引き継げないのですか。

一度に移すのは難しいですが、引き継げないわけではありません。判断の場に立ち会わせ、決めた理由をその場で聞き取り、似た事例と比べて記録し、後任に実際に決めさせてみる。観察・言語化・実践・振り返りを繰り返すことで、一人の感覚だった判断が、少しずつ複数の人に広がっていきます。時間はかかりますが、文書化だけに頼るより移りやすくなります。

後任を決めたのに、なぜか決定権が移りません。

書類上の決定者と、実際に決められる状態は別ものです。ベテランが後から覆す、周囲が後任の決定を認めない、必要な情報が渡っていない、失敗すると後任だけが責められる。こうした状態が残っていると、決定権は名前だけになります。理由なく覆さない、周知する、必要な情報を渡す、失敗を一人の責任にしない。この四つを整えると、決定権が実際に動き始めます。

属人化の根本原因を確かめる

マニュアルを作っても属人化がなくならないのは、手順が足りないからとは限りません。文書に書き切れない暗黙知と、書いても移らない決定権が、一人に残っているためです。暗黙知は経験と振り返りで引き継ぎ、決定権はその人の判断が通る状態を整えて移す。ここまでやって、属人化は薄まっていきます。

まずは、自社で「言語化しにくい判断」と「例外時の決定権」が、誰か一人に偏っていないかを、客観的に確かめてみてください。

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